今日は倉敷で着物教室。新しい生徒さんが加わりましたので、皆さんにはちょうどいいきっかけで、復習ができたようです。で、ようこさん、「先生のブログ見ました。六戈先生のこういう詩を掲載されていて驚きました。先生ってそういう姿もあるのですね。こういう詩がお好きだとは、見直しました。」なんてそれどういうこと?
もちろん六戈先生の才能にはほど遠いところにいますけれど、ファンではあるのですよ。
また別な詩を掲載させていただきますので、お楽しみに。
イタリアの話もしてくださいってことでしたので、それでは一席。
とにかく沢山思い出があります。イタリア人の友人マリアは自分よりイタリア的だといつもそういいます。
私はかなりイタリア的だそうです。和がすきなのですが。
イタリアに一年間滞在中に、ボローニャのイタリア語学校に二ヶ月ほど入りました。その間イタリア人のご婦人お一人住まいのアパートに滞在しました。私は45歳、セニョーラは60歳くらいの未亡人。実は私はイタリア語をまったく知らないまま、イタリアに来ていました。なにを勘違いしたのか、そのまま学校に入りましたが、説明は英語でしたが、教室が始まると完全にイタリア語だということを忘れていました。申し込みは滞在していたホテルのフロントの女性が書いてくれましたので、そのことに気付いてもいませんでした。13人のクラスにはアメリカ人、インド系イギリス人、スイス人、スペイン、ドイツ、など各国の若い人が揃っていました。
イタリアでは日本人は皆10歳は若く見られるのです。ですから、私は当然35才だと皆思っていました。白いシャツにジーンズ姿でしたから、余計にそう思われたようです。
私はすっかり学生気分でした。で、授業が始まると突然のイタリア語に私はびっくり、ちんぷんかんぷんでんなにも理解できないのです。でもみなの答えからどうも名前を聞いているのだと理解し、みなの答えの中で、名前だけ入れ替えればいいと気づきました。結局二ヶ月間、勘に頼ってなんとか切り抜けてきました。
ある日、あなたの職業はと聞かれ、着物講師だと答えると、先生が明日の授業はきやらの着物の授業としますと突然決めてしまいました。イタリアに持参していた付け下げと帯を持ち込み、是非モデルになりたいと申し出たインド系イギリス人のケンブリッジの学生に着付けることとなりました。とても美しい女性でした。
片言以下のイタリア語で着物を説明しながら着付けていきました。先生が一番喜んでいらしたと思います。
その後が大変でした。私も私もと同級生が申し出て結局、一人の人の下宿で10人ほどを着付けることになりました。その中には男の子も入っていましたが。写真をとったりとほんとにぎやかでしたよ。
その後もイタリアにいる間に沢山の人に着付けてきました。沢山のイタリア人が着物にとても興味を示してくれたのはうれしかったですね。イタリア語は帰国して毎週届く10通くらいのイタリア語の手紙に返事を書くために独学で勉強しました。お陰でかなり読めるようになり、吉本ばななの小説はイタリアからよく送ってきましたので、辞書があれば読めるようにはなりました。いつも本が色々と届きました。イタリア語の短歌集まで届きましたよ。
下宿先のセニョーラはとても綺麗な方で一週間の旅行の間、猫のプントと一緒に留守番をすることになりました。きやらは信用できると言ってくれましたが、イタリアの家は鍵は二つもあり、厳重になっています。それほど大変なところですが、家と愛猫のプントを私に託してくれました。猫のプントは仲良しで、セニョーラのベッドからいつも夜中に私のベッドにしのび足で移動してくるので、浮気者と彼女が笑っていました。プントと抱き合って寝ていました。楽しいボローニャの思い出です。
木耶ラのきやらはイタリアの女性の名前キアラからきています。イタリア語なのです。
六戈先生がこの漢字を考えてくださいました。とても気に入っていますので、今では本名よりこの名前を使用しています。 天国のおとうさんごめんなさいね。
ボローニャ大学は世界最古の大学です。