ボローニャでのイタリア学校はこのボローニャ大学の敷地内にありました。
奥州一古い大学の中にです。
13名のクラスはドイツ人、スペイン人、アメリカ人、スイス人、イギリス人、その他。
毎日のクラスで、午前中は文法に会話の授業。
お昼からは課外授業。
ボローニャの視聴覚教室でイタリアの古典音楽を聴くというようなことですが。
まず授業が始まってから気づいたのですが、すべて授業はイタリア語でした。
うっかりしていました。まったくイタリア語がわからないということに気づきました。
先生の言うことがまったくわからない。
ということで、あとはただただ、勘に頼って何とか切り抜けることにしました。
例えば先生が
コメティ キアーミ と聞けば 生徒は ミキアーモ Mariaと答えます。
ということは名前を聞いているんだ。
ではミキアーモ きあらでいいんだ。
この調子で職業などを聞かれました。
これで、一か月は持ちました。
ですが、残りの一か月はちんぷんかんぷん。
文法は別としまして、会話が急速に難しくなっていきました。
文法はケンブリッジの学生がいましたが、一か月後のテストではできた人から
手を上げましたが、私は二番か三番だったきがします。
文法に強い日本人 、会話に弱い日本人(笑)
会話はさすがに横文字文化には勝てません。
それにしましても楽しいクラスの始まりです。
お昼の休憩には皆で近くのバールでパニーニにこーコーヒー。
皆で行きました。ここでも「会話は絶対にイタリア語にしようね」ということになりました。
あれれ。
日本人は10歳若く見られます。人によってはそれ以上。
私も実年齢より10歳若いと思われていました。
会話の授業で変な質問がありました。
世界で一番運転が下手な人種。
皆好き好きに答えていましたが、アメリカ人の男の子が「日本人」て
答えたんですよ。
はあ?一番安全運転ですよ~だ!と心の中では言いましたが。
職業の所で先生は私に興味を持ちました。
着物を教えているというところが。
教室が何回か進んだ時、
「着物は持ってきたの?」って聞かれました。
若い女性の先生でした。
「ええ」と答えましたら、
「では明日の会話の時間はきやらにまかせましょう。着物を着せるところを見せていただきましょう」
と嬉しい提案を。
このころは少しは片言で話しができるようになっていました。
いやあ、会話になっていたかどうかは定かではありませんが。
前もって単語を引き引き説明文を作って予習を心がけました。
この旅行用に安い付け下げを準備しましたが、
この付け下げが大いに私のイタリア滞在を助けてくれることになるのです。