私、このスズランの写真(無料写真)を見て思いだしたのですが、
北海道からの鈴蘭を大阪で受け取り沖縄に運んだことがありました。
鈴蘭便と言いまして、毎年北海道の鈴蘭を沖縄に運ぶイベントがあるそうなんですね。
その便に当たりまして運んだわけですが、沖縄の空港ではテレビ局、新聞社がニュースで
放映するということで沢山の人が集まっていました。
引き渡しのイベントが始まるのですが、もう六月の沖縄は真夏。
真っ青な空に太陽が異様に近い。 そう感じました。
待機している間に眩暈がしてそのまま倒れそうでした。
身体がまだ梅雨時の身体で真夏にはなれていませんでしたので、
真夏の暑さに倒れそうでした。
終了後キャプテンが一束くれないかなあと言って来られました。
沢山積んでいましたので、一束お渡ししました。
会社では上司はいますが、常務すればそこからはパイロットが
キャプテンであり、上司になるわけです。
すべて命令のままに動きます。
沖縄はその当時はまだ変換されていませんでしたので、アメリカの統治下にあり、
車も左ハンドルでしたね。
キャプテンが食事の後にこのスナックに来るようにと地図を渡してくださり、
コーパイロット 副操縦士ですが、と他の仲間と一緒にステーキハウスに行き
その後そのスナックに行きました。
キャプテンはすでに到着。そしてそこのカウンターには鈴蘭が。
なるほどとまだ若かったのですが、何となく納得。
そこで私が注文したものはレモンスカッシュ。
皆さんに笑われましたが、私は朝の乗務ですから飲みませんでした。
いい加減な性格で自由人ですが、そんなところは真面目ですね。
乗務の前にはニンニクは絶対に食べないと同期で決めていましたが、
今でもそうですね。
ニンニクは仕事前には食べないですね。
イタリア料理のようなものは大丈夫ですが、焼き肉などは行かないですね。
鈴蘭で40年数年前のことを思い出しました。
ちなみに沖縄の朝食はその時はホテルのビーチサイドで
キャプテンたちとご一緒でしたね。
場所によってはホテルはパイロットの方々とは違いますが。
他の日には空港での朝食でしたが、半熟の目玉焼きを
上手に食べる方法をキャプテンに教えていただきました。
今ではそんなことはないそうですが、昔は顔がわかるほどの人数でしたから
のんびりしていましたし、北海道でもキャプテンにご馳走になりましたね。
名古屋ではアメリカ人のエンジニアとスチュワーデスと一緒に映画にも
行きましたね。
そのフライトエンジニアの方は雫石で亡くなりました。
お茶目で楽しい方でしたが。
奥さんも来日されていてその時にはお腹に赤ちゃんがいらしたのですが。
残念です。
メーデーメーデーと叫ぶ声が最後になるとは。