多くの方が美しく、早く着物が着れるようにお手伝いし、この素晴らしい日本の民族衣装着物を後世に伝えていきたいと思っています。
YouTube「木耶ラの着付け」200秒で着あげる。
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ヴィヴァ イタリア イタリア!
私はこの十数年一心不乱に前を向いて走ってきたような気がします。仕事に入りますと前しか見えない状態に陥り、気が付くとあれ?って思うくらいいろんなことを忘れてきてしまっています。忘れたのではなく、気になりながら連絡をとだえさせてしまったといいますか。
でも今一人になりふと思い出すのは長い間音信不通になっている友人たちのこと。 音信不通になったのはこれはもう私のせいであり、筆不精の私が何度か来る手紙の返事が遅れてしまった(遅れすぎですが)に他なりません。 今回いつも気になりながら住所さえわからなくなっているイタリア人のファビオのメール先を人を介して知ることができました。倉敷の街でレストランを任されていたイタリア人のシェフで、お料理教室を開いたところにすぐに参加することで出会いました。ちょうどヨーロッパ旅行から戻ったばかりでした。 パリ ミラノ ロンドン スイスの街 を走り抜けるような旅でしたが、すっかりイタリアが気に入り絶対に戻ってきますと、トレビの泉に後を向いてコインを投げてきました。(工事中でかなり遠くにあり、なかなか入らなかったのですが、何度も投げてやっと入りました。それから1年近くのイタリア滞在がひょんなことから実現するのですが) そうそうイタリア滞在が実現したのはこのファビオのお蔭でした。 ファビオは十いくつか若いと思いましたが、お料理教室が終わったあとも個人的に仲良くなり弟のような存在になりました。病気の時にも「食べる物がない、熱があるので何か買ってきて欲しい」と電話が入り、何が食べたいのかと聞きましたら「お寿司」と答えるほど変なイタリア人でした。 料理人らしくどんなものでも食べることができますし、どちらかというと繊細な日本人の味もわかる人でした。 フェラーラという町に住むファビオの家族とも滞在中にすっかり仲良しになり折りをみてはママの家に行っていました。突然行って一緒にお昼を食べたり。 妹はボローニャ大学を主席で出るという秀才で彼女が連れて行ってくれた映画 ドイツ映画だったような「ブルー」は最初から最後まで画面がブルー一色で音だけの映画でした。 それは中近東を思わせる音楽だったり、中国を思わせる鐘の音だったり、インドの音楽だったり、何語かわからない話声だったり、日本を思わせる音だったり。シルクロードを旅しているかのような国を巡っているような。 イタリアの映画館は途中で休憩が入りますがその休憩の間に半分以上の人が帰ってしまいました。 敬虔なクリスチャンで秀才の真面目な彼女は観終わった後、素晴らしい映画だったねと語っていました。 余談ですが、イタリアの若い友人たちと映画に行きますともう終わりは12時頃になるのですが、それから飲みに行くというのではなく、彼らはいつもジェラート屋さんのベンチで二段 三段になったジェラートを食べながら今見てきた映画の感想を語り合うのです。 時々は喧嘩をしているごとくに意見を言いますが、帰るときにはみな挨拶のキスをして笑顔で分かれます。 イタリアの若者は討論が好きですね。白熱した討論をいつもしていましたね。 でもボローニャあたりの北イタリアに住んでいる人は日本人よりも大人しいかもしれませんね。 ファビオはグローバル的ですが。 そのファビオから驚きのメールが返ってkきました。 姉弟のように付き合ってきましたので、彼は私のメールを喜んでくれ、娘の事(日本にいる時にフィアンセのイタリア人のお腹にいました)来年生まれてくるもう一人の子供のこと、ママのこと、娘のフィアンセのこと(まだ17歳ですが)を色々書いてきました。 英語の手紙はスムーズに読めませんが、イタリア語はまだ読むことができました。でも返事をもっと上手に書くには再度の文法の勉強のし直しが必要ですね。一か月あれば取り戻せる気がします。 自分用に詳しい参考書を作っていますから。これはもう宝物ですね。3年かけて作ったものです。 (おおざっぱなところだけしか知らない友人たちのためにもこのことは書いておきたい!) (人は捨てたものではりませんよ。一面だけではないのですから) イタリア人が懐かしくなり、京都にいるマリアにも電話を入れました。 彼女の実家にも五日間ほど滞在をしましてママとも妹一家ともハンサムな弟ともすっかり仲良しになりました。この滞在の話もまたいつか。マリアの80のママが毎朝作ってくれたりんごのケーキの話など。 マリアの双子の娘たちとは友人関係でとくにエリサは親友です。大人になったエリサと話をしましたが、 もうついていけないほど賢い。 マリカはイタリア語の先生をしていますが、真面目な彼女は優秀な講師のようです。 そうそうファビオのお姉さんのパオラの車での事故の話も、そしてその夕方最後の日になるかもしれないとトスカーナの彼女の家と大きな暖炉で焼いたフィオレンティーナステーキとワインの話もいずれしたいですね。 なにせ私たちはトスカーナの大丘陵の中の道を安全ベルトなしでしたから、パオラがところどころのカーブにあるガードにぶつけた時にはフロントガラスに頭を嫌というほど打ち付けてしまいまいました。 車はかろうじて家まで動きましたが、(大丘陵の中にあります)その日は段々目の周りが真っ黒になっていくパオラと頭を強く打った私が明日生きているかどうかはわからないとマリアの夫と三人で最後になるかもしれない晩餐を楽しみました。次の朝はやく丘の上の街にある病院で診てもらいましたが、脳には異常がないとのこと。またお昼二人でワインで乾杯しました。大丘陵を見渡せるガーデンレストランで、生還の祝いを。 未だになんでぶつかったのかわかりません。どんどんガードレールが近付いて来ていて、イタリア人はギリギリまでハンドルを切らないんだと思った瞬間ぶつかりました。????車はボルボだったような。 長崎と同じようにイタリアは私の思い出いっぱいのもう一つの故郷です。
by kiyara888
| 2011-10-31 07:25
| 日常
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