以前にネットの古本屋で手に入れました本ですが、棚を整理していてふと目にとまりました。この教信沙弥を知ったのは確か一遍上人の本の中だと思います。
しかし、本来は親鸞和尚や空也上人からでもはいってこれる有名な方でした。
親鸞上人が、在俗の沙弥教信に深い敬慕の念を寄せられ、また一編上人はこの教信寺で生を終わろうとしていたことはあまりにも有名な話のようです。
沙弥(しゃみ)と言いますのは、普通には正規の僧となる手続きを経ていない出家者、あるいは、姿は僧であっても妻子を養い正業に従事している者のことを指していう言葉だそうです。
ちなみに空也は沙弥名だそうで、法名は光勝と称したのですが、生涯、沙弥名空也を用い続けたとか。そこには空也上人の深い思いがあったようです。
また親鸞聖人が、在俗の沙弥教信に深い敬慕の念を寄せられたその根底には、われもまた民衆とともにある非僧非俗の念仏者という、聖人自らの信念があったのであろう。
「教信沙弥と往生人たち 渡辺貞麿著 石橋義秀解説による」
私は一遍上人に興味があり、その書物の中でこの方を知ったのだと思います。
勝尾寺の勝如上人が夢に出てきた教信沙弥をたずねてみると小庵の側で泣いている女子供の側にいままさに鳥や数匹の犬に食い荒らされている死人が横たわっているのを見ます。
それが教信沙弥で彼は死んだら亡骸は飢えている野犬や鳥たちの糧にするようにと言い残すのです。
このことを知ったときに、教信沙弥に大変興味を覚えこの本を探すことになりました。
一遍上人 教信沙弥 西行 熊野神社に私は興味を覚えています。ここで色々なことをお話するにはまだまだ未熟ですのでこれ以上は書けませんが、ただただ生き方に興味を覚えています。
どういう生き方だったのかはここでお話するには長くなりますので、興味のある方はどうぞネットでお調べくださいませね。私がお伝えするよりは正確でしょうから。