イタリア物語   ホテルのオーナーの親切







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送られてくる絵画をいったいどこで預かって貰えるのか。




考えても考えてもアイデアがでない。

やっぱり帰りたい。

無理。



そうだと思い立ち、

朝食後ホテルのオーナーに尋ねてみました。

どこか絵画を預かってくれるところがないかどうか。


そうしましたら、ちょっとこちらへと案内されました。

この階段の下が倉庫になっているから全部は無理でもいくらかは置けるので、

ここを使ったらいいよ。

と言ってくださったと思います。


なにせまだ片言のイタリア語ですから。


わあ、助かりました。

あっと言う間に解決しました。



ですが、100号は無理だろうということで、またその旨を連絡。

何を送るかを決めに又町へと戻りました。


とにかくなにやらかにやらで片道五時間のこの道程を四回ほどやってのけたのでは

ないでしょうか。


ですが、取りあえず一件落着。

これで開くことができます。


あとはのんびりアッシジを散策し作家が来るのを待つだけになりました。



と思ったのですが、これで終わらなかったのです。


イタリアでの悪戦苦闘はここで終了ではありませんでした。


ですが、それまでにはちょっと時間がありましたので、その嵐が訪れることは

まったく知らずにアッシジの丘に聳え立つ聖フランチェスコ教会の石の塀から

平野を眺めていました。 のんびりと。


その頃はまだ俳句もしていませんでしたし、絵も描けませんでしたし、写真も上手では

在りませんでしたので、勿体ないことでした。

いい俳句 短歌ができていたかもしれません。 ??


教会の中で静かに椅子に座り瞑想したり、ジョットの絵を鑑賞したり、

ホテルのマンマのパスタを味わったり。


隣のテーブルのイタリア人の女性が車で来たからとドライブに誘ってくれました。

二人で丘を下り、近くの田舎町へと繰り出しました。

彼女はミサに参加したいという目的があり、洞窟のような教会を訪れました。

もう映画の世界です。中世の世界です。


それから小さなレストランで食事を取りましたが、家庭料理でしたね。まさしく。

イタリアはあまりまずいものがないんですね。

結構日本人には食べやすいんです。



マンマの手作りお料理は美味しかったですね。

次の嵐が来までに静かなアッシジを楽しめました。




信じられないでしょうが、この民宿  20年前のことですが、二食付きで3,500

円だったんですよ。

お部屋も清潔でゆったりしていました。

二階建だったでしょうか。


飛行機に乗っています時は、結構いいホテルに泊まっていましたが、それも月に何回も。

ですから、こういう民宿は本当に珍しく楽しかったですね。


日本と違って二泊とかではなく、五日間の滞在でしたり、一週間だったりしますし、

家庭的なホテルですから、お客通しがすぐに仲良くなれます。


決まったテーブルなのですが、一人旅の人たちが一緒のテーブルに集まって

歓談しながらお食事を楽しんでいました。


ローマから来た図書館に勤める男性だったり、日本人の若者だったり。


私は単語を引きながら会話の予習をしていました。

少しでも交流ができますように。


会話集から抜粋したり、単語を並べたり。

明日はこういうことを話そうと思うことをまず日本語で書いて。

そして暗記をしていました。


ですから少しずつでも会話らしくなっていくんですね。後は度胸。

取りあえずはしゃべってみることですね。

間違っていてもいいですから。


思い切って話してみることです。

そうそうそれで失敗したことがありましたですね。

その話がまだ出ておりませんが。



まあ失敗することもあります。

とんでもないことになることも。

ですが、陽気なイタリア人のことですから、大いに笑い楽しんでくれます。


さて嵐が来るんですが、実は本当の嵐なんですよ。

まあ、それだけではないのですが。

相変わらず問題は一つではなかったのです。

またまた私は五時間かけて戻ることになります。



イタリアで遊んでいたことに知らない内になっていましたが、

一人で悪戦苦闘していたんですけれどね。








by kiyara888 | 2016-02-11 16:04 | イタリア物語 | Comments(0)

イタリア物語 あれれ、個展が延期?

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個展の一ヶ月前にアッシジにやってきました。

準備のためですが、今度は一人で。

友人もなく、まだ片言のイタリア語で。



長期滞在の宿は日本でいう民宿。

家族で経営しているホテルですが、アッシジの上の方に位置していまして、

長崎のように坂になっています。



やっぱり英語は通じません。


とても可愛いお部屋でした。


食堂ではここがセニョーラのテーブルです。ずっとここになりますと

割と中心の席を決められました。

ここで様々な旅行者と出会うことになります。

家庭的なホテルですから、旅行者も長期でしたら家族同然といった雰囲気に

なっていきますね。



夜もここで食事をしましたが、パスタはマンマの手打ちです。

朝パタンパタンと麺を作る音で目覚めます。


作っているところも見学させていただきました。


のんびりした中世の町アッシジがすっかり気に入ってしまいましたが、

まあ嵐の前の静けさといったところでした。


次の日早速打ち合わせに行きましたら、

セニョーラ、会期を間違っていました。二週間先に延ばしてくださいとのこと。

ええ!荷物は全部送る手配はすんでいます。

連絡をしましたが、今から変えるのはむりという話でした。


じゃあ、預かってくれるところを探しといてくださいねという話になりました。


この街に知り合いはいません。相談する友人も。

何が何だか分からない状態で茫然と。


この壁をどうやって乗り越える?



無理無理、止めて帰りたい。



日本にいる作家に電話を入れました。


こういう状況では難しい。戻りますと。



そうしましたら、もうすでに地元の新聞にアッシジで個展と掲載されてしまったとか。

今更困る。何とか頑張ってと説得されました。



イタリア、手伝いに来ただけなんですけど〜!






中世の路地の向こうにお月様が……………。

美しい!



明日考えるとしましょう!


今日は宿でマンマの手打ちのスパゲティーを楽しむことにしましょう!


きっと何とかなる。










by kiyara888 | 2016-02-10 15:29 | イタリア物語 | Comments(0)

ロマーニャ地方のパスタ カペレッティ





リコッタチーズとほうれん草をパスタ生地で包んだもの。

ミートソースをかけるばあいもあったような






これがお気に入りでした。本当に美味しい。


この地方はパスタ料理の種類が多く、クリーミーなかぼちゃの餡を包んだパスタも

お気に入りでした。

これもミートソースで。


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日本のように砂糖を使ったお料理はありませんが、このカボチャはお砂糖は

使いませんが、カボチャ自体が甘く、珍しいパスタでした。


甘いパスタですね。



ボローニャで有名なのはボロネーゼ 。

ミートソースですね。



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友人のレストランではお魚も出していましたが、お魚料理は少なかったですね。

ロマーニャエミーリア地方はプロシュットで有名な地方でした。

生ハムですね。






by kiyara888 | 2016-02-09 17:17 | イタリア物語 | Comments(0)

イタリア紀行 10 着物が活躍

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イタリア語の会話の時間を与えていただきました。

モデルはインド系イギリス人、ケンブリッジの学生。

小柄ですがとっても美しい。

特に目が深いくっきりとした二重で切れ長。



イタリア人の先生が、世界で一番うつく人種はインドの人だと思うわと

言いましたが、皆さん頷いていましたですね。

同級生に日本人がいて、日本に憧れを持つようになったとのこと。

着物を着るのが夢だったそうです。


終始ご機嫌でしたね。


予習してきました説明をイタリア語でしまして、何とか無事終了しました

拍手喝采でした。

先生も喜んでくださって、一躍人気者に?


いえいえ、ここからでした、実は。



全員が着物を着たいと言い出し、一人の子の下宿先に皆で押しかけ、

残り全員に着物を着せて、写真を撮ってというまあ何とも賑やかな1日になりました。

最後は男の子も着たいと言い出し、大男にも着付けたのですが、

それはちょっとアレンジを。

まあ皆さんご機嫌でした。




それから私は何人に着物を着せたでしょうね。

友人に、友人の家族に、お世話になった方にと。



写真を見るたびに私を思い出してくれるでしょうね。

初めて着物を着た感動とともに。



あの美しいケンブリッジの子は今どうしているんでしょうか。




着物講師で良かった。







by kiyara888 | 2016-02-05 22:23 | イタリア物語 | Comments(0)

イタリア物語    9   ボローニャのイタリア語学校




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ボローニャでのイタリア学校はこのボローニャ大学の敷地内にありました。

奥州一古い大学の中にです。



13名のクラスはドイツ人、スペイン人、アメリカ人、スイス人、イギリス人、その他。

毎日のクラスで、午前中は文法に会話の授業。

お昼からは課外授業。


ボローニャの視聴覚教室でイタリアの古典音楽を聴くというようなことですが。



まず授業が始まってから気づいたのですが、すべて授業はイタリア語でした。


うっかりしていました。まったくイタリア語がわからないということに気づきました。

先生の言うことがまったくわからない。

ということで、あとはただただ、勘に頼って何とか切り抜けることにしました。



例えば先生が

コメティ キアーミ     と聞けば    生徒は   ミキアーモ Mariaと答えます。

ということは名前を聞いているんだ。


ではミキアーモ  きあらでいいんだ。


この調子で職業などを聞かれました。




これで、一か月は持ちました。

ですが、残りの一か月はちんぷんかんぷん。


文法は別としまして、会話が急速に難しくなっていきました。

文法はケンブリッジの学生がいましたが、一か月後のテストではできた人から

手を上げましたが、私は二番か三番だったきがします。

文法に強い日本人 、会話に弱い日本人(笑)



会話はさすがに横文字文化には勝てません。

それにしましても楽しいクラスの始まりです。


お昼の休憩には皆で近くのバールでパニーニにこーコーヒー。

皆で行きました。ここでも「会話は絶対にイタリア語にしようね」ということになりました。

あれれ。


日本人は10歳若く見られます。人によってはそれ以上。

私も実年齢より10歳若いと思われていました。





会話の授業で変な質問がありました。

世界で一番運転が下手な人種。

皆好き好きに答えていましたが、アメリカ人の男の子が「日本人」て

答えたんですよ。

はあ?一番安全運転ですよ~だ!と心の中では言いましたが。




職業の所で先生は私に興味を持ちました。

着物を教えているというところが。


教室が何回か進んだ時、

「着物は持ってきたの?」って聞かれました。

若い女性の先生でした。

「ええ」と答えましたら、

「では明日の会話の時間はきやらにまかせましょう。着物を着せるところを見せていただきましょう」

と嬉しい提案を。


このころは少しは片言で話しができるようになっていました。

いやあ、会話になっていたかどうかは定かではありませんが。

前もって単語を引き引き説明文を作って予習を心がけました。


この旅行用に安い付け下げを準備しましたが、

この付け下げが大いに私のイタリア滞在を助けてくれることになるのです。











                                                        

by kiyara888 | 2016-02-04 23:50 | イタリア物語 | Comments(0)

イタリア物語   8      ボローニャ



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ボローニャに戻りました。




さて、秋にアッシジでの個展が決まったのですが、これから色々と

準備などがあります。


100号から始まって水彩画までのこの絵画を移動しないといけません。

そして日本へ送り返さないといけません。

アッシジへも早めに入らないといけません。



なのに作家さんはもう日本へ戻りたいという。


ですが、どうしても個展は開きたいという。

そうなんですね。これは願ってもないチャンスですから、作家としては三か所でも

やりたいと言う。


親切なそして情熱的な友人が、折角だからもっと多くの人に観てもらったらと

あちこち紹介してくださるのですから、こんなチャンスはない。



でも帰りたいと言う。後は任せると言う。



これ私一人で全部やるの?

本気?


でもまあどちらにしろ私一人でやってきたのだから、一人でもいいわけですが。


イタリア人もまるでイタリア人だねと笑う私一人の方がやり易いのは確か。


ではやってみますかと承諾。



ですが、全くの素人、経験ゼロ。イタリア語話せない。英語通じない。

そうだ秋までまだ時間がある。


なんて言ったって欧州一古い大学があるここは学芸都市。


イタリア語を勉強しようと思い立ちました。


アッシジには英語がわかる友人達もいない。

助けてくれる人はいない。


本当に一人ですべてをしなくてはならない。


イタリア語を勉強しておこう。

ボローニャ大学の敷地内にイタリア語学校がある。

ホテルのフロントの女性に入学希望の手紙を出してもらいました。

すぎに返事在り。

返事はフロントで丁寧に教えてもらいました。



意気揚々と学校が紹介してくれた下宿先へとまずは出発。

ホテルのフロントの男性が休みの日に車で荷物を運んでくれました。

まだかなり細かったので、ジーパンに白いシャツ姿でした。



私の下宿先のセニョーラは母にやや近い年代。とても素敵な方でした。

私のお部屋は広いベッドでこぎれい。素敵な宿泊先。


後でわかりましたが、13名のクラスメートでこんなに素敵な快適な下宿先に

当たったのはたった3人でした。

あとは御台所は使ってはいけない。朝食は外で。友達は連れ来ない。と

かなり厳しいものでした。


セニョーラはお台所使用可、朝食を作るのもOK。

それどころがいつも香高いコーヒーで目が覚めました。


おきたら私の朝食が。

本当にかわいがっていただきました。

一目であなたが気に入ったわと言ってくださった。

一週間後、彼女はボーイフレンドとバカンスへ。

三つのカギとネコのプントを預けて出発。


ええ!  いいの?

まだ知り合って一週間なのに。


近くに息子夫婦がいるとは聞いていましたが、まだ紹介はされていませんでした。

プントは毎晩私のベッドへ忍び込んできます。

いつもはセニョーラと寝ているようです。


黒に白のぶちの品のいい猫でした。


すっかり仲良くなり、プントと二人でお留守番。


面白いことに、彼女が戻ってきてからも、毎晩、彼女のベッドから抜け出し

私のベッドに入ってくるのです。

彼女が寝静まるとそっと私の部屋のドアを押して猫足で近づいてきます。

するっとベッドの中へ。私に寄り添って朝まで寝るわけです。



彼女は苦笑いしながら、プントの浮気者と怒っていました。

まあ怒るといいますか、二人が仲良く過ごしていたと彼女は理解できてうれしかったのでしょうね。


クラスメートにも下宿先のセニョーラにもプントにも本当にいい思い出を頂きました。

ますますイタリアが好きになりました。


ですが、彼女のボーイフレンドも私に驚いていました。

ここまでイタリア語を話せない学生は初めてだと笑い転げていました。

良く思いきってきたねと。

いやいやうっかりしていたんです。


授業は日本語でもなく、英語でもなく、まったくのイタリア語だったとは、始まるまで

気付いていませんでした。


全くゼロの人が入る教室ではないと。


それでも二か月通ったんですよ。


ちんぷんかんぷんの授業へ。

ほとんど勘を働かせて(笑)

賢くないけれど勘はいいと言われていますので。


一人になった私は心細いというよりのびのびとイタリア滞在を満喫するんです

というと聞こえはいいのですが、


これより先に大変な苦労が待っているとはつゆ知らず。

ですが、ここでイタリア語を少しでも勉強したことは本当に良かった。


それだけでも力になりました。


壁にぶつかった時、もう駄目だ帰りたいと初めて思いましたが、帰ってきては駄目という

作家の言葉。

何としてでも成功させてほしいという願望。

窮地に追い込まれて止めて帰りたいと思いましたが、そう説得されて頑張ってやり遂げました。


実はもう地元の新聞に作家の写真とともにアッシジでの個展の記事が掲載されたそうです。

後にひけないという切実な訴えに、やり遂げることにしたのです。



イタリア人の助けに寄って切り抜けることはできたのですが。

沢山の人が私を助けてくれました。


アッシジの滞在先だった民宿のおじさんも窮地を救ってくれました。

彼の助けがなければ個展は開催されなかった。


友人が機転を利かせてくれまして危機一髪で切り抜けました。

坂の上の民宿から絵画を運んでくれたローマから来た男性に

日本人の男の子。


問題は一つではなかったんですね。

押し寄せてきたトラブルは二つも三つも。


そんな先があるとはつゆ知らず二か月の楽しい学校生活を送るのですが。


人に恵まれているよねえと良く言われますが、本当にそうですね。


私は二本の足で歩いてきたわけではないですね。


ここまで生きてこれたのは沢山の足に支えられてですね。


沢山の足で歩いてきた。


イタリア生活もまさしくそうでした。


二本の足ではここまで歩けませんでした。




さていよいよ授業が始まります。


13名のクラス

スイス人  ドイツ人 インド系イギリス人 ケンブリッジの学生でした。

アメリカ人  あとどこでしたっけ?  さまざまな国から集まっていました。

すっかり仲良しに。



私は持参した付け下げのお蔭で人気者になるのですが。

着物のお蔭で。

by kiyara888 | 2016-02-03 10:02 | イタリア物語 | Comments(0)

イタリア物語 7 アッシジへ







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次はアッシジに行くことになりました。


五時間ぐらいかかったような気がします。


ウンブリア地方 ペルージャ県



お隣がペルージャ



聖フランチェスコの生誕地でありフランチェスコ聖堂が平野を見下ろすように、

空を仰ぐように建っています。

ジョットの「鳥に説教するフランチェスコ」という、有名な絵に会えます。

一度地震で粉々になったのですが、今は完全に修復されたようです。

私は地震前に訪れましたが、中世そのままの街にまるで映画のワンシーンのように

中世の僧衣を纏った僧侶や尼さんが歩いています。

昔は聖地として訪れる人の街だったようですが、今は観光客で賑わっています。



道中暑かったことを覚えています。

小さなホテルに入り一段落して、次の日に備えました。

又市役所で辞書を片手に頑張らなくてはなりませんので。



一人で赴きました。


ここでは多少英語が通じ、秋に展示会を開くことを了承して頂きました。

書類を書きサインをし、では秋にと市役所を後にしました。




読んでくださっている方は、良かったですね、一安心ですねと

おっしゃってくださるでしょうが、実はこの後が大変だったのです。



流石イタリア! こんなにスムーズに行くはずがない


ですが、結局はとてもいい思い出になりました。

イタリアの方たちに助けられて困難を乗り越えていけましたから。



ここを紹介してくれた友人の機転、アッシジのホテルのご家族、

友人たち、ホテルで一緒だったローマからの男性、日本人の若い男性。

彼らのお陰で困難を乗り越えていけました。

皆さんの助けがなければ絶対に無理でした。




イタリアで一度も嫌な思いをしたことがありませんですね。

物も盗まれませんでした。


男性にしつこく誘われることもあまり無かったですね(笑)





これって私の個展でもないし、企画が私の仕事でもないんです。

お手伝いに行っただけだったんですが……………………。









さて、私達はボローニャへと戻ります。















by kiyara888 | 2016-02-02 16:07 | イタリア物語 | Comments(0)

イタリア 紀行6 トリノで目覚まし時計が





ボローニャなどでの生活は又ゆっくりとするとしまして

この展示会中に世話好きなエレガントな夫妻との出会いから

私たちは各地を歩くことになります。


せっかくだから、あちこちで個展を開くといいよということで、

本当にあちこち紹介してくれました。


で、言葉が通じない私は取り敢えず辞書をもって紹介状を持って

三箇所の市役所を訪れることになりました。

当然私の役目になりました。



最初に訪れたのはピエモンテ州のトリノ

















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この地方には有名なワインがあります。

イタリア高級ワイン バローロです。


力強いワインですから、

高いところからワインを素敵なデカンタに注ぎ空気に触れさせます。


その町のレストランではそうやっていましたね。

暫く置きますと穏やかになるそうです。




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ここで私は作家さんを連れて市役所に出向きました。


なんともまあ広い部屋。

立派な長いテーブル。

この重々しい長い歴史を感じさせる部屋で担当者を待つことに。



凄く親切に紹介してくださったのは有難いのですが、

なんでこんな事にと正直思いました。

言葉が通じませんのに。





ここでの詳しいことは忘れましたが、


結局は話は上手くいかず、実現はできませんでした。

ですが、いちいち辞書をひく私にイラつくこともなく

常に紳士でした。




次は場所は忘れましたが、そこで は

市役所の担当者の方とお話?しています時、

突然、めざまし時計がなり始めました。

その日の朝、時計が壊れましたので、その目覚ましを

バッグに入れておいたのです。


とんでもない日本人が来たものだと思われたでしょうね。


本当になんでこんな事しなくてはならないんだあと私も思いました。

そう駄目だったの、では次はとまあ彼の親切に振り回される事に

なりました。



嫌だ〜❗️


又行くのか〜〜‼️









by kiyara888 | 2016-01-31 23:21 | イタリア物語 | Comments(0)

イタリア滞在記 4




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一ヶ月の個展が始まりました。

作家さんはホテルからあまり出ませんので、毎日朝から通いました。

で、私が作家だと思った人が多かったですね。

どちらにしろ言葉がわからないのですから、ただ感じていただくだけ。


まあそれでいいのですが。

おまけに抽象ですし、説明はいらない。




受付にマリアと二人。


本当に良くおしゃべりをするマリア。

私がわかっていようとわかっていまいとお構いなし。



ですが、この時のヒアリングが大いに役に立つのです。

文法から入らなかったので、ヒアリングから入ったので

日本人が一番苦手なヒアリングがなんとかなってきました。

兎に角、早口なんですね。

マリアのおかげで単語を聞き取る練習になったのです。



半分以上がご主人の悪口でしたが(笑)

毎日お迎えに来るご主人の(笑)



とにかく明るいマリアといつも笑い転げていました。

いえいえ、ちゃんと絵のご案内も。

英語がわかる人も観光客も入ってきましたので。

絵の評判は良かったですよ。日本的だと言って。



ルーカと休憩へも。

でも午前中からワインは無理なので、私はエスプレッソです。




ここの人は朝はコーヒーに中にクリームの入った揚げパンを食べていましたね。

これは癖になりました。

似たようなものがミスタードーナッツにあります。



円高でしたので大いに助かりました。









by kiyara888 | 2016-01-30 11:36 | イタリア物語 | Comments(0)

イタリア滞在記➂ オープニング パーティー

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個展の初日、イタリア人の若い友人たちがパーティーを企画してくれました。

手作りのパーティー。と言いましてもシェフですのでお料理は本格的。



気楽なパーティーでしたが、市長さんもみえました。

背がお高く未だお若い方で、白いシャツにジーンズ姿。


会場は150年前に建てられました教会。

今はギャラリーとして存在しています。



楽しいパーティーでした。後かたずけも全て友人たちが。


日本で弟のように面倒を見てきた二人のイタリア人のお陰で

このようなことになったのです。



出会いって面白いものですね。





そういえば、日本に滞在中、風邪で寝込んでいたイタリア人から電話があり

何か食べるものを買ってきて欲しいと言われたのですが…………

何も食べれないという話でしたが、リクエストはお寿司でした(笑)




イタリアでは、彼のお母さんともすっかり仲良しになり

お昼は良く遊びに行きスパゲッティをご馳走になりました。


お姉ちゃんとも仲良くなったのですが、これが又とんでもない

思い出を作る出会いとなりました。



過去になるといい思い出にはなるのですが。




あらら、今映画が始まりましたが、多分これは

ジョニーは戦場へ行った



この映画はあまりにも残酷で一週間食事ができませんでした。

ショックを受けた映画です。


ちょっと今観る勇気がありません。
















by kiyara888 | 2016-01-30 00:18 | イタリア物語 | Comments(0)