私に取りましての京都は故郷でもあり、青春の思い出であり、
未来への道しるべでありました。
住んでホッとするのは博多の方ですが、この京都が今の私をかなりな
部分で影響を与えたと思います。
着物がまだ繁栄していました時に京都にいましたので、大変
楽しい思い出が残っています。
三日間の着物祭典意外にも毎年、着物がにあう女優を選びまして、
ホテルの大広間で大パーティーが開かれました。
これも染織組合、多分、大手の呉服屋さん、そして大手の着物学院の
主要メンバーが集いましての大イベント。
藤純子さん、岩下志麻さん、その頃はまだきもの姿が美しい和泉雅子さん
なんて言いましたら、失礼でしょうか。
(生き方としては素敵だと思いますが。)
テーブルを回られてご挨拶されるのですが、岩下志麻さんはその頃
大変怖い凄みのあるお役をされていましたが、実物は小顔で
とても可愛らしいお顔でした。
わたし怖くないでしょう?って仰ったのを覚えています。
笑顔が可愛らしかったですね。
藤純子さんはとても記憶に残っています。
実は、その時のパーティーの一等賞をわたしがゲットしたのです。
その当時の新作帯でした。
若い人向きでしたから、ちょうど年齢にあっていたのですが、
地味好みのわたしはあまり締めませんでした。
今は若い生徒さんの手に渡っています。
藤純子さんから手渡されました。
くじ運が良くてよく訪問着ですとか、着物と帯一式ですとか帯揚げですとか
色々と当たりましたが、この場合は藤純子さんの笑顔と共に渡されましたので
特別です。
藤純子さんは大変気遣いのおありの方だと友人の歌舞伎役者の奥さん
から聞いております。
内外とも素敵な方ですね。
その帯のことが思い出されます。
この帯をいつか又写真を取ってアップしたいと思います。
もしかしたらその帯に関わった方が見てくださるかもしれませんし。
まだまだその当時の華やかな京都の思い出はあるのですよ。
これも又すごいお話です。
いずれ又お話することに致しましょう。
キャリアが長いということは歴史を背負うと言うことですから、
ほかの方には分からない経験をお話できますね。
自然とキャリアはついてきますが、これがわたしの仕事には
大変重要な役目をすることになります。
この仕事を選んでほんとうによかったです。
日々戦いではありますが。