今日の徹子の部屋は市田ひろみ先生でした。
もうこんなお年になっていらっしゃるとは、驚きました。
まあ、自分の年を考えますと当たり前なのですが。
お話はきもの教室というものが誕生したいきさつでしたが、
私の44年間とも繋がりますので、興味あるお話でした。
私が京都にいました20年間はきもの全盛期といいますか、
華やかなりし時代で、それも全般ですが、毎日のようにホテルなどで
きもの作家さんがたのきものショーが開かれていました。
デパートでも芭蕉布展、大島展と様々な展示会も。
20年間京都にいたということはやはりキャリアの上で宝になっています。
毎年三日日間のきもの大祭典が開かれまして、全ての着物に携わる方々で
分担しての大きな祭典でした。
各学院からもデモンストレーションなどが開かれ、又関係者の振袖の
着付けなども請負い、大広間でのショーなども。
この広い会場のあちこちでワークショップが行われ、
中心の舞台では各学院が担当する帯結びなどのデモンストレーション。
なんとこの時大変なことが起きました。
いえいえ、私にとってですが。
数日前に学院長がご自分の創作帯結びを発表すると言うことに
なっていたのですが、急遽東京へ行く用事ができたということで
まだ30前後の私が学院長代理でそのお役目をお受けすることになったんです。
それも時間がありませんから二回くらいの特訓で出ることに。
勿論一般の方から各学院の先生方に取り囲まれてです。
振袖を着たモデルさんと一緒に舞台に上がるのですが、
兎に角泥縄式のデモンストレーションですから、もう目の前が
真っ暗といいますか、真っ白。
ですが、二、三段の階段を上がって舞台に立ちましたら、
嘘のようにさーっと白い霧も消え去りまして、あたりが
しっかり見えました。そしてとても落ち着きました。
今でもその一瞬のことがなぜなのかわからないのです。
もともと自分の感情が理解できない時がありますので
この場合も何故急に霧が去ったのか理解できませんでした。
大勢の方に囲まれての帯結びでしたが、遠目にこちらをじっと見ている方が、
直視されていたその方は市田先生でした。
その頃からリーダー的存在でいらしたですね。
遠目と言いましても、私のまっすぐ目の先に。
あれからもう40年、時間が経つのは早いですね。
今日の徹子の部屋を拝見していて、懐かしく思い出されました。