数名の生徒さんからメールをいただいていますが、
明日お返事のメールをお送りします。
すみませんが、もう少しお待ちくださいませね。
突然訃報が舞い込みまして、明日の朝から三日間
出かけることになりました。
仕事や様々なことを先に済ませています。
喪服の準備に白の長襦袢にお衿をかけたり。
喪服を着ることがありませんでしたので、そのまま箪笥にしまったまま。
取りあえずはお草履からバッグまで準備できました。
チケットも今日買に出かけましたり、足袋に半襟にと
なにかと走り回っていました。
3号も遅れていますが、あと少しで印刷です。
今色校正に入っています。
水曜日、木曜日の行事もキャンセルをしまして、また
土曜日からの東京の準備もあり、あたふたしています。
ですが、どうしても大好きだった叔母に最後のお別れをしなくては。
私を待っていると思います。
私にお葬式に来てほしいとの叔母の遺言。
何としてでも行かなくては、心残りになります。
祖母にそっくりだと叔母はいつも言っていました。
幼くして母をなくした叔母には祖母は奇麗な思い出。
懐かしい人。
その母親に私がそっくりだそうです。
私はこの一週間前に叔母に電話をしました。
これが最期の叔母との会話になりました。
その次の日から意識不明になったそうです。
息もたえだえの声で、「身体は大丈夫?心配しているのよ」
という叔母、
まさか死ぬほど悪いとは思っていませんでした。
もう危篤状態だったのに、従妹が電話口に出したそうです。
「私は大丈夫よ」と息も絶え絶えに叔母は言ったのですが、
いつも明るく、また癌が転移したのよ。アハハと言った感じで
電話口でよく笑っていました。
次から次に癌が転移していくんですが、明るさと元気さは変わらなかった
ですね。明るいから生き続けられたのかもしれません。
間もなく命が途絶えようとしている人が「私は大丈夫よ。あんたは
身体大丈夫?気を付けなさいよ」というのが最期になりました。
死の間際まで人のことを心配する叔母。
息も絶え絶えに。
偶然にも私は最後の電話をしたことになります。
まさか叔母が亡くなるとは思っていませんでした。
お正月にでもお見舞いにいってみようかと電話をしたのですから。
お正月に祖母の話を聞きに行こうと思っていました。
もう一人の叔母は戦争孤児を自分の子供3人と分け隔てなく愛しました。
彼は遺体にすがって泣いていました。
この子は私が産みましたと言い続けていました。
母は3人の小姑からいじめられたことがないといつも言っています。
私を待っている叔母の為に明朝出発します。