夏から秋へ
このポリネシアの都をはなれて
夏の日に一ッぴょうをさげてぶらぶら
歩く自分自身になることは困難だ
むしろニイチェに心がひかれる
だがそのヘレニズムも超人も
まだあまりに人間的でこまる
自己をすてて ものそれ自身という観念をすてて
人間をすて 人間の己惚れをすてた
人間の本質的ななまやさしい脳髄は
くさ木の花のようになまめかしい
蘭の花の香りに似た「発見物」のように臭いのだ
思い出の山ごぼうの血液の下で
手あかのついた「イギリスへのアヘン飲みの告白書」を読んだ
追憶の追憶の
空ははてがない
ドイツ人を妻君にしたあの赤ヒゲの
小説家はプラトンとゲーテが嫌いだった
ところがあのポリネシヤの土人たちは
非常にすきなんだ
始めなく終わりなき
生命なきものこそ永遠の「発見物」
人間の自己の中をいくらさがしても
永遠はない
人間の終わるところに永劫が始まる
ただこおろぎの音に生命の実存がある
われこおろぎがきこえる故にわれあり
女が男の方へかたむくように
なめらかな心がかたむくように
ビール会社の生垣はかたむいている
からたちの青黒い実が
やぶがらしやへくそかずらの中から
素直な生命をあどけなくつき出す
すべてー
のっぺらぼうの生命の茎
たま川を渡って柿生の村をすぎて
女の留守の家へむだに歩いた
炎天に赤土のスカンポの映画は
ソロモンの栄華よりもはるかに淡いものがある
草いきれに茎のやわらかさ
山百合をみるひとみ
ジャガイモの花の哀愁
人間が女と男に分裂したことはかなしい
だが、「われあり」とは永劫の流れを濁らせる
自然は自然の中にあるし
永劫は永劫の中にあるだけだ
生命が終結するとき
永劫は純粋に存在してくる
こののつぺらぼうの生命のよろこびを
秋の夜を抱こうとする女のよろこび
こそ最大な生命の祭祀だ
だが永劫はくるものだ
こおろぎの鳴く夜に
めをさます時は
西脇順三郎
「西脇順三郎詩集」より